千歳お祭り 2019
例祭(本祭) 9月2日 10時より斎行
宵宮祭 9月1日 18時より斎行
後日祭 9月3日 21時より斎行
※開催の有無・詳細は公式サイト・又はオフィシャルのアナウンスを必ず御確認ください。
▼北海道千歳 北海道千歳エリア
http://eventsearch.jp/facility/city-chitose
かつては千歳地方を、アイヌ語で大きな窪地または谷を意味する「シコツ」(ローマ字表記:si-kot)と呼んでいた。石狩平野の中心部に当たるシコツには太平洋からウトナイ湖、美々川を遡って分水嶺を越え、千歳川から石狩川を経て日本海へと至るルート「シコツ越え」があり、1658年(万治元年)には現在の千歳神社がある場所に志古津弁天小社が造営された。1805年(文化2年)に当時のシコツ場所担当だった箱館奉行調役並山田鯉兵衛嘉充が、シコツは「死骨」に通じ縁起が悪いとして箱館奉行羽太正養に新しい川の名を依頼し、羽太はシコツの地に多くのタンチョウが生息していたことから「鶴は千年、亀は万年」の故事にちなんで「千歳川」と改名し、これが千歳の地名の語源となった。
▼千歳神社宵宮
http://eventsearch.jp/facility/temple-chitose-jinja
松前藩資料福山秘府によると、「弁財天小社東夷地、志古津、万治元戌造営、同3年神体ヲ安置」とあり、万治元年(1658)に弁天堂が建立され、享和3年(1803)に樺太南部探険に功績のあった勇払詰所役人高橋治太夫が、思古津場所の守護神として、京都伏見から正一位思古津稲荷大明神を奉斎し、文化2年(1805)に思古津場所の鮭漁が栄んになるに従って、さらに弁財天が勧請された。この文化2年に奉られた弁財天の御厨子の裏に、箱館奉行羽太正養により「死骨」(シコツ)から「千歳」と改称された由来が書かれ、この地を千歳と改め、明治8年主祭神を豊受姫大神とし、同年郷社に列し、大正6年稲荷社を千歳神社と改称して、昭和51年現社殿を造営し、今日に至っている。
万治元年(1658年)に弁天堂(のちの釜加神社)が建立され、享和3年(1803年)には、箱館奉行の役人である高橋治太夫により、思古津稲荷大明神(千歳神社の前身)が建立される。 明治8年(1875年)には郷社となる。 大正6年(1917年)には社名を稲荷神社から千歳神社と改める。 その後、昭和50年(1975年)には本殿を新築し、平成5年(1993年)には社務所を新築する。
住所:千歳市真町1番地
例祭日
例祭(本祭)9月2日 10時より斎行
宵宮祭 9月1日 18時より斎行
後日祭 9月3日 21時より斎行
御祭神
豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
伊智伎志摩比売命(いちきしまひめのみこと)
松前藩資料福山秘府によると、「弁財天小社東夷地、志古津、万治元戌造営、同3年神体ヲ安置」とあり、万治元年(1658)に弁天堂が建立され、享和3年(1803)に樺太南部探険に功績のあった勇払詰所役人高橋治太夫が、思古津場所の守護神として、京都伏見から正一位思古津稲荷大明神を奉斎し、文化2年(1805)に思古津場所の鮭漁が栄んになるに従って、さらに弁財天が勧請された。この文化2年に奉られた弁財天の御厨子の裏に、箱館奉行羽太正養により「死骨」(シコツ)から「千歳」と改称された由来が書かれ、この地を千歳と改め、明治8年主祭神を豊受姫大神とし、同年郷社に列し、大正6年稲荷社を千歳神社と改称して、昭和51年現社殿を造営し、今日に至っている。
■アクセス・行き方・最寄り駅(公式サイト)
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